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木は永遠のパートナー

TEL. 0744-42-3535

〒633-0062 奈良県桜井市粟殿350番地 FAX.0744-43-2552

万葉と木のまち・桜井市SAKURAI

木のまち桜井

木を積んだトラックが行き交い、国道165号線沿いを中心に木材工場が数多く並んでいる。かぐわしい木の香りが「桜井」というまち全体をふんわりと包み込み、まるで統合された大気の中にいるような錯覚に陥る。桜井が木のまちとして発展した背景には、大和平野と山間部の接点に位置したこと、豊富な森林資源があったことなどが挙げられる。ところが桜井が現在のような木材集散地として有名になったのはそれほど古い話ではない。

いにしえのなごりを豊かに残すまち

万葉のふるさと桜井は歴史の宝庫。豊かな自然の中に残る宮跡や陵墓、古墳などは今も市内のいたるところで見ることができる。この地にあった都が奈良に移った後も各区地からの道がここに集まり、平安朝以降が伊勢参りや初瀬詣での宿場町として栄えた。

近くにあっても活用できなかった森林資源

一般的に木材業が発達しやすいのは、森林資源に隣接した地域である。しかし山間部では、工場の敷地や貯木場など広いスペースの確保が難しい。そこで、やや広い谷底や渓口が使われた。また、切り出した木材は河川で流送されたことから、河川の沿岸や河口などで発達する場合も多かった。桜井は南に吉野山系、東に宇陀、伊賀山系を控え、古くから山間部と平野部を結ぶ交通の要衝としての役割を果たしてきた。だが、位置的には吉野林業地域に隣接しているものの、間には竜門岳が障壁のようにそびえている。また下流が大和川へと注ぐ粟原川、初瀬川などは、木材の流送に適した大河川ではなかった。 木材業が発達するための立地条件を考えると、桜井は決して恵まれた場所ではなかったのである。そのため川上、東吉野地方の木材は、いかだに組んで上市、五条を中継地として和歌山へ流送される状態が長く続いた。

交通、産業の革新により立地条件が一変

明治26年、大阪鉄道(現在のJR線)が大和高田から桜井まで延長。明治31年、奈良鉄道(現在のJR線)が桜井で大阪鉄道に接続。運送手段の革新により、木材の運搬の主流は陸送へと移った。一方河川は、ダムの建設などによりいかだを使った木材の流送に適さなくなりつつあった。大都市では工業の発展による木材需要の急増しており、木材生産地と市場を直結する必要性が生じていた。
明治後期、そうした変化によって桜井の立地条件は一変した。相次いで木材業者が駅前に進出し、桜井は木材供給地としての歩みを開始することになる。
大正時代には木材出荷、磨き丸太、廃材加工など、様々な業者が現れ、桜井にはひとつの集散市場が形成されるようになる。さらに昭和に入ると輸送手段は鉄道だけでなくトラックも使われるようになり、昭和15年頃まで桜井は順調に発展を続けた。 第2次世界大戦中、木材は統制下におかれていたが、戦後は膨大な復興需要を背景に再び活況に沸いた。集荷圏が県内にとどまっていた戦前を上回り、県外にも広がりを見せるようになった。

桜井木材工業団地完成、生産規模の拡大へ

高度経済成長の昭和30年代、木材の需要に供給が追いつかず、深刻な原木不足、原木価格高にみまわれた。●そこで政府は昭和36年、外材の影響は確実にもたらされることになった。大係木が多い外材を扱おうと必要がある。●
(●〜●意味?)
しかし当時、桜井の各工場はいずれも街の中にあり、それぞれ自然発生的に分布していた。市街地では規模の拡大に限界がある。そこで組合が中心となって製材工場の集団化が進められ、昭和41年桜井木材工業団地が完成した。阿部、橋本、吉備の3地区にまたがる27ヘクタールの土地に、共同目立工場、共同プレーナ工場、従業員の共同宿舎などが建設され、計画的な工場地区が出来上がった。
これと並行して、桜井駅南側では都市再開発が行われ、桜井木材協同組合をはじめ金融機関が進出した。現在、市内の製材業者(組合員)は約220軒、その他の木材関連業者を含めると500軒にのぼる。文字通り「木材のまち」である。

木の可能性を広げる集成材に力を注ぐ

最近、桜井の製材工場で生産に力をいれているのが集成材。ムク材(加工していない木材)の節などを除いて板にし、接着剤で何枚も張り合わせて作るものだ。これには次のようなメリットがある。
  @大きな強度を期待できる。
 A長大材を作ることができる。
 Bわん曲したものなど、自由な形を作れる。
 C狂いや割れが起こりにくい。
 D防腐・防虫・防火処理が容易。
@は節など、強度上の欠点を除去あるいは分散することができるためであり、CDは集成する前の小さな木の段階で十分な感想および薬剤処理ができることによる。
集成材を大きく2つに分類すると、木構造用耐力部材として強度を重視する構造用と、表面に化粧板を張って美しさを主目的とする化粧用集成材(インテリアなどに使う)に分けられる。建築着工量の増大、消費水準の向上、そして木材の良さを見直そうという気運の盛り上がりとともに、集成材の需要は、ますます高まりつつある。

そうめん発祥の地とも言われる三輪のそうめん

桜井の産業で木材と共に有名なのがそうめん。細くて煮くずれがなく、適当なこしがあって歯ごたえが良いのが特徴。『三輪そうめん』の名は全国的に知られている。この地で盛んに作られるようになったのは良質な小麦と水があったことと、水車による製粉業が発達したことからだと言われる。 三輪そうめんの確実な起源は15〜16世紀だとされている。当時は宮廷や高級武士、寺院など上級階級の公式行事のための食品であったらしい。17世紀後期の『武艦』には毎年7月、高取藩主から幕府へそうめんを献上したという記録がある。これが町民階級の人たちにも愛好されるようになったのは18世紀、江戸時代中期以降。18世紀半ばの『日本山海名所図絵』では「細きこと糸の如く、白きこと雪の如し。ゆでてふとらず、前項より出ずるそうめんの及ぶところにあらず」と紹介されている。当時から大神神社参詣の人々の人気を集める名物であった。 第2次世界大戦後しばらくは、食生活の洋風化で少し人気が落ちたものの、最近では日本の伝統的食生活や自然食品への関心の高まりもあって、再び活況をみせている。
三輪そうめんは、主に農閑期の11月下旬から4月上旬までの間に農家で作られる。早朝5時から翌日の夜まで、2日間かけて仕上げる”極寒手延”である。昔に比べて機械化が進んだとはいえ、すべての行程において長年の経験と勘が要求される。 三輪山ろく一帯の家々の庭でのかど干し(約2mに延ばしためんを天日で乾燥する)風景は、現在でも冬の風物詩である。

バナースペース

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